――だけどその前に、準備をしなくてはならないの。
それだけ口にして、慈雨は箱馬車に乗って姿を消してしまった。間もなく日付の変わる深夜の夜闇に溶けていく箱馬車をじっと見送ったみぞれは、そこで緊張の糸が切れたのか、がくりと身体を地面に落とす。 空気のように佇んでいた私兵たちが顔を見合わせ、そのうちのひとりが気を失ったみぞれの身体を抱き上げ、慣れた手つきで運んでいった。 男は無言で、カツカツカツと小刻みに軍靴を鳴らして救護室の前で待つ。 その合図に気づいたのか、がらり、とボレロ姿の少女が、躊躇うことなく扉を開き、『雨』のふりをしていた恋人と彼に運ばれてきた姉を迎える。 みぞれを長椅子へ横たえると、男はあられのあたまをそっと撫でた。「雹衛」
「慈雨は、富若内に向かった。明日の朝には理事長を連れて天神の娘を手に入れに戻ってくるだろう」やはり。慈雨は伊妻の乱を再び起こそうとしている。天神の娘を使って。
あられは頷き、雹衛の冷たくなった手をきゅっと握る。「そう」
「妹たちは?」 「かすみと四季さんなら、さっきまで黒多さんの傍にいたけれど」禁術をつかうと決意した四季と、それに従うことになったかすみは、あられに桂也乃を任せ、外へ行ってしまった。ここだと土地神のちからを充分に享受できないからだと四季は口にしていたが……
「ふん。禁じられた秘術、か」
「知っているの?」 「カイムの民なら誰でも知っているさ。逆さ斎の少年は、そこまでして帝都清華の令嬢を救うつもりなのか……?」雹衛の言葉に、あられも頷く。彼が何を考えているかなんて知らない。けれど、もし自分が雹衛を失うことを考えたら、きっと禁じられた秘術だろうが救える手だてがあるのなら縋るに違いない。たとえ自分の命と引き換えになったとしても。
――四季は桂也乃のために、命を投げ出すつもりだ。
「そうね。それだけ彼は彼女を大切だ